福岡高等裁判所宮崎支部 昭和55年(う)32号 判決 1980年7月22日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人淵ノ上忠義が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官が提出した答弁書に各記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一 控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。
所論は要するに、原判示第三の各事実における柴立秋男作成名義の本件各供述書の作成について、被告人は柴立秋男から事前にその名義を使用することの承諾を得ていたから、被告人が右柴立の氏名を冒用して同人作成名義の私文書を偽造したと認定した原判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある、というのである。
そこで原審記録を精査して検討するに、原判決挙示にかゝる証拠中、柴立秋男及び被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、柴立秋男は昭和五三年一〇月ごろ友人である被告人から「時々車に乗らねばならないが今無免許であるのでお前の名前を使わしてくれ」との依頼を受けた際、「免許証不携帯違反程度なら使つてよい」といつて自己の本籍、住所、氏名、生年月日等を記載したメモを被告人に手渡したことが認められる。
しかしながら原判示の証拠によれば、本件各交通事件原票下欄における柴立秋男作成名義の各供述書は、いずれも柴立秋男本人が原判示第三の一においては免許証不携帯の違反事実を、同第三の二ないし四においては通行禁止場所の通行違反の事実を認めることを内容とする事実証明に関する文書であつて、その内容は自己の違反事実の有無等当該違反者本人に専属する事実に関するものであり、名義人である柴立秋男が自由に処分できる性質のものではなく、専ら当該違反者本人に対する道路交通違反事件の処理という公の手続のために用いられるものであつて、これが供述書の作成名義の真正に対する公共の信用を害することは明らかである。このような性質からすると本件各供述書は名義人たる柴立秋男本人によつて作成されることだけが予定されているものであり、被告人が作成することは許されないものというべきであるから、本件柴立秋男作成名義の各供述書は同人の承諾に拘らず、被告人は作成権限がないのにほしいままに柴立秋男と冒書したものと認めるべきであつて、原判決がこれを私文書偽造罪に当ると認定したのは相当であり、原判決には事実誤認の瑕疵はない。論旨は理由がない。
二 控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について。
量刑不当の所論にかんがみ、原審記録に現われた本件各犯行の動機、態様、罪質、被告人の前歴等量刑の資料となるべき諸般の情状を考察するに、本件は被告人が昭和五四年五月二日から同年七月一九日までの間四回にわたつて無免許で普通乗用ないし貨物自動車を運転し、そのうち三回は通行禁止義務に違反し、また右四回とも前記のとおり違反事実取調の警察官に対し他人の氏名を詐称して私文書を偽造し、これを行使したという事案であつて、被告人には昭和五二年八月無免許、速度違反等を内容とする道路交通法違反罪により罰金刑に二回、昭和五三年九月無免許運転、速度違反を内容とする道路交通法違反及び本件同様の私文書偽造、同行使の各罪で懲役一年、三年間刑の執行猶予の判決を受けた前科があり、十分反省自重すべき立場にありながら、右執行猶予期間中本件各行為に及んでいること等からすると、その遵法意識の欠如は顕著なものがあるといわざるをえず、その刑事責任は軽視できないから、所論の指摘する被告人に有利な情状を十分斟酌しても、本件は再度の執行猶予を付しうる事案とは到底認め難く、原判決の量刑は相当であつて、これをもつて不当に重いものとはいうことができない。この論旨も理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却することとして、主文のように判決する。